マックルモアが2ndアルバムをグラミー選考から外した理由。人種とヒップホップから考える彼の作品

1stアルバム「The Heist」

はヒップホップにとってある意味特別なアルバムであった。グラミーにて不利だと言われているヒップホップであるが、Macklemore & Ryan Lewisは2014年のグラミーにて4部門も受賞している。そしてこのアルバムはほとんどにヒップホップファンにとってはケンドリックの「good kid, m.A.A.d. city」を破った作品として覚えられているだろう。

そんなグラミーであるが、マックルモアは2017年グラミー選考から外して欲しいと申し出たのである。彼は前回のグラミー後、色々思うことがあり、さまざまなメッセージを伝えてきた。やはり一番の理由は「グラミーは白人が優遇されている」ということであろう。ケンドリックがとれず、マックルモアが受賞したことが「人種」の問題だと言われていた。Dumbfoundeadが映画界でのアジア人の少なさについて語ったのと似ている。

そしては彼は去年リリースした「This Unruly Mess I Made」のタイトルからもわかるように「自分の成功が手に負えない混乱を招いてしまった」というメンタリティになっているのだ。収録されている「White Privilege II」でも「白人であることの特権」について語っており、「このシチュエーションを変えないといけない」という内容になっている。黒人が作り上げた「ヒップホップ」をやる上でこの辺はかなり敏感なトピックとなっている。

彼のグラミーに関しての判断が正しいのかどうかはわからない。しかし受賞した彼本人がグラミーにて白人が優遇されていると感じたのであれば、それが真実なのかも知れない。ただ、そこでメッセージを込めた作品を胸をはって「最高のアルバムだ」と言えなくなってしまうのは少し悲しいことである。

実際にこのアルバムはヒップホップに大きく貢献してきたKRS-OneDJ Premier、Melle Mel、Kool Moe Dee、Grandmaster Cazなどのレジェンドをフィーチャリングしたアルバムであった。同じくレジェンドのBig Daddy Kaneが

彼のような若い世代を魅了するアーティストが、黎明期のアーティストをリスペクトし、フィーチャーしたのは美しいことだ

と語っており、さらには「俺らはそんなことしたことないし、近年の黒人ラッパーもこのような黎明期のアーティストにリスペクトを込めたフィーチャリングをしていない。そう考えると少し自分が恥ずかしくなってきた。」と語っている。そう考えると彼のアルバムは、ブラックカルチャーの延長線にある作品としても、胸を張っていいアルバムだと感じる。彼のおかげでKool Moe Dee、Melle Mel、Grandmaster Cazなどの70s〜80sレジェンドを知った若い世代もいるだろう。Big Daddy Kaneの発言は以前書いた「「最近の若者は先人たちをリスペクトしない、という批判について」にも共通する内容と感じる。(追記:「ビースティ・ボーイズのAD Rockが今の音楽を聞かない理由」も合わせて読んでみよう)

このようなトピックになるとエミネムのデビューしたてのインタビューを思い出す(探しても公開されていなかったので、記憶を頼りに思い出す)。

エミネム「俺に人種というものを突きつけてくる人には容赦をしない。俺がつくってるのは「音楽」であって、俺がどのような見た目かはラップスキルには関係ないはずだ。デトロイトの貧民街で育った経験を皆と同じように音楽にしているだけだ。」

もちろん彼がヒップホップ業界に入ったときは、白人がマイノリティであったので、この発言が許されたのかもしれない。黒人だけではなく、白人も多数ヒップホップ業界にて活躍をしている今では、このような発言は叩かれるかもしれないが、エミネムの言っていることは理解できる。どうであれ、自分の音楽的表現に自信を持っていることが彼の一番の勝因であると感じる。

私は米音楽業界にて活動したことがあるわけでもなく、グラミー選考の裏側をみたことがあるわけではないので、偉そうなことは言えない。しかしきちんとブラックカルチャーのルーツを理解し、感謝した上で、人種や見た目などのバイアス関係なしに「音楽の評価」としてグラミー賞が行われることを願う。

ライター紹介:渡邉航光(Kaz Skellington):カリフォルニア州OC育ちのラッパー兼Playatunerの代表。umber session tribeのMCとしても活動をしている。

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