「Hip-Hipがロックスター的な地位になったのはRun-D.M.C.の功績だ」Ice CubeのRun DMCに対する想いを語る
ヒップホップが一般世間にて大ヒットするようになった80年代
DJ Kool Hercやグランドマスター・フラッシュの手によってNYのサウス・ブロンクスにて生まれた「ヒップホップ」。 その新しい音楽が一般的にも知られるようになったのは80年代に入ってからであろう。ヒップホップをライフタイムとして、一般世間に広めたのはRun-D.M.C.と言っても過言ではない。自身のグループ名を冠したファーストアルバム、「Run D.M.C.」はミリオンヒットを記録し、ローリング・ストーン誌の「オールタイム・グレイテスト・アーティスト100」にまで選ばれている。Run-D.M.C.の伝説的地位は疑うまでもなく、ヒップホップだけではなく、音楽業界全体からみても偉大な存在である。
そんな彼らから影響を受けたうちの一人、Ice Cube(アイス・キューブ)はこう語る。
「ヒップホップがロックスター的な地位になったのはRun-D.M.C.の功績によるものだ。彼らは俺たちのようなフッドで育ったやつらが何をしたらいいのか、すべてを教えてくれたんだ。特に、”Here We Go”のような曲は、ドープなDJがいればバンドはいらないということを教えてくれた。そしてフッドのラッパーたちが「King of Rock(ロックの王)」になることだってできるということも。
このようなことをRun D.M.C.から教わることができなければ、俺はそもそもラッパーとして活動すらなかったと思う。」
Ice CubeはRun DMCの楽曲“King of Rock”にかけてヒップホップアーティストが「ロックスター」になれるようになったと語った。まさにロックスターのように大勢を熱狂させるカリスマ性をもったグループである。
彼らのヒップホップ文化に対する貢献は、さまざまなトレンドが移り変わる時代の中でも、Ice Cubeのようなヒップホップシーンで30年近く活躍しているアーティストにリスペクトされ続けている。さらにIce Cubeは「ヒップホップが死んだ日」についてこう語っている。
俺はいまだに覚えている。誰かが「ヒップホップは死んだ」って言ったんだ。そんなこともちろん信じなかったが、Jam Master Jay(ジャム・マスター・ジェイ:Run DMCのDJ)が殺されたことを知って、「そうか、ヒップホップは死んだんだ」って納得したよ。
特にRun DMCはMCとDJの絆を世間に知らしめた存在だ。この一心同体とも言える繋がりに、当時でいうハードロックバンドのような「アツさ」を感じる人も多かったのであろう。Jam Master JayはまさにDJの世界を広げた人物である。そう、全てのアーティストたちは、こうした先人たちの恩恵を受けているのだ。
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