Funkと社会。ドキュメンタリーの解説と王道ファンク紹介

Writer: 渡邉航光(Kaz Skellington)


 

FUNKという音楽ジャンルを知っていますか?

Playatunerを読んでいるということはおそらくファンク/ヒップホップが好きな方が多いのでないかと思う。しかし一般的には、頻繁に言葉を耳にする機会があったとしても実はどのようなジャンルなのか知らない方が結構多いのではないだろうか?下記の動画がファンクの歴史を簡単にブレイクダウンしてくれているのでかなりオススメだ。(英語なので大体の要約を解説します)

“ファンクは心境であり、反乱の音であり、そして黒人であることを祝う音楽だ”

 

このような60年代の公民権運動や黒人に対する差別などの社会的背景、抑圧があったからこそ出てきた「音楽による魂の叫び」がファンクである。60年代に行われた数々の公民権運動により公民権法ができた。しかし黒人や有色人種に対する差別や不平等はすぐには無くならなかったのである。その差別的な感情は環境、地域文化、エンターテイメント、職にも影響した。そのような法律ができたとしても社会の本質的な部分は中々変わらない。白人が一番優遇されているということは変わらなかったのである。

マルコムXやキング牧師のような黒人に希望をもたらすリーダーがいなくなった60年代後半に入ると、有色人種は社会を生き抜く新しい術、アイデンティティが必要となった。理不尽なルールの中で自分たちの「自由」を作り上げるために生み出したアイデンティティが「ファンク」という物であった。もちろん音楽と黒人文化の繋がりという意味ではBluesやJazzなどのジャンルもあったのだが各自少しベクトルが違う。

そもそもFunkという言葉は「土臭い」「悪臭」等という意味で奴隷に対して使われていた言葉である。その自分たちの先祖に対して悪いように使われていた言葉を「自分たち専用の言葉」に変え、アドバンテージを取っていった。そのようにして「黒人専用」の「自由の形」として自由に「踊って叫べる」音楽が発達していった。

公民権運動

http://bigbigbigthings.com/wp-content/uploads/2011/10/peaceprotest.jpeg

 

音楽的には「小節の1に来るビートに一番強いアクセントをつけるのがファンクだ」とKool & the Gangのメンバーなどが解説している。実際にファンクのゴッドファーザー、James Brownが今も「最強の男」と言われている理由ここにポイントがあるらしい。

それまで1, 2, 3, 4の中の2と4にアクセントが付いている音楽が主流であった。しかし彼が「1に大きなアクセントをつける、そして後は自由」というフォーマットを創ったと数々のファンクアーティストが解説している。時代が進むにつれその1のアクセントも薄れてくるが、今でもヒップホップやポップスでその影響を聞くことができる。

 

ジェームズ・ブラウン ファンクのゴッドファーザー

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上記ドキュメンタリーから文化的背景を解説したところで実際に映像内で紹介されている王道ファンクバンドを紹介していこうと思う。説明が長くなるのもなんなので是非気になるバンドがあったら独自で調べて欲しい。

 

James Brown(ジェームズ・ブラウン)


 

ファンクのゴッドファーザーと呼ばれる人。この人から全て始まった。

ファンクの帝王と呼ばれ、「ショウビジネス界一番の働き者」と称される。シャウトを用いたヴォーカルと、斬新なファンク・サウンドが特徴である。

 

Sly & The Family Stone (スライ&ザ・ファミリー・ストーン)


 

スライ&ザ・ファミリー・ストーン(Sly & The Family Stone)は、特に1967年から1975年にかけてサンフランシスコを本拠地として活動した、アメリカの人種・性別混合ファンクロックバンド。スラップ奏法のペースを生み出したラリー・グラハムがベーシスト。

 

Ohio Players(オハイオ・プレイヤーズ)


オハイオ・プレイヤーズ (Ohio Players) は、アメリカ合衆国のファンクバンド。オハイオファンクの代表的なバンドでもある。今までのファンクバンド以上にいい意味で「臭い」。動画の「O! H! I! O!」からの画面下部から炎の合成が出てくる感じがたまらない。そして最後の前衛的なスキャットがさすがOhio Playersと言ったところだ。

 

Kool & The Gang (クール・アンド・ザ・ギャング)


 

初期はリード・ヴォーカルはおらず、ジャズ・ファンクを中心としたインスト・トラックが多かった。やがて、73~74年ごろにファンク・バンドとして黄金期をむかえる。70年代後半からのDiscoブームを乗り切るために79年にボーカルを入れ、Discoポップス調の音楽に変わった。上記の楽曲の1曲目がボーカルがいない時、2曲目がまさに生き残るためにボーカルを入れた曲なのでその変革を是非聞いて欲しい。本人たちも「俺らは売れ線に走った」と語っている。

 

P-Funk (ParliamentとFunkadelic)


Pファンク (P-Funk) は、ジョージ・クリントンが、1970年代に率いた2組のバンド、パーラメントとファンカデリック、及びその構成メンバーによるファンクミュージックを指す音楽ジャンルであり、またこの音楽集団のことである。彼らがファンクの全てを変えたと言っても過言ではない。パーラメントとファンカデリックは、作る音楽やレーベルが異なるが、構成メンバーはほとんど同じである。かのブーツィー・コリンズもベーシストとして参加している。

ライヴでは20人を超える人数が入れ替わり立ち替わり、4時間にも及ぶ長尺のステージを繰り広げる。とにかくド派手。ファンカデリックの初期はどちらかというとジミー・ヘンドリクスに影響されたサイケロックであったが段々P-Funkとしてサウンドがファンクよりになった。

 

Earth, Wind & Fire


彼らのSeptemberという曲は多分誰もが知っているであろう。この辺からファンクは一般受けを狙ってくる。1970年代の全盛期は、モーリス・ホワイトとフィリップ・ベイリーのツインヴォーカルに重厚なホーンセクションが特徴であった。1980年代前半には、他バンドに先駆けてコンピューターを利用した電子音を採り入れ、実験的な曲創りにも取り組んだ。アメリカ国内だけでなく日本をはじめ世界的な人気も高く、1970年代から何度か活動停止と再開を繰り返しつつも定期的にヒット曲を放った。2015年まで活動していたが、2016年2月3日にボーカルのモーリス・ホワイトが亡くなった。

 

Disco Funkの台頭

その後はDiscoブームを来ると同時にファンクは衰退していき、生き残りをかけたファンクバンドはDiscoっぽい曲調に変化していった。動画の中でKool & The Gangのメンバーも語っているがファンクは元々頭に大きなアクセントがあり、その後を自由に演奏する音楽であったが、Discoは四分でずっとアクセントをつけ、誰でも踊れるように設計した音楽であった。ファンクの影響を受けながらもダンスフロアに最適な形をとった音楽は世界的な社会現象となった。

60年代〜70年代に形成されたファンクは変わってしまった部分が多いかも知れないが、

人々が何かに抑圧される限り、「自由になりたい」と野生の感性で踊る限り、ファンクは決して滅びずに復活する。

またいつか後日このようなファンクの精神性がどのようにして現代に受け継がれたかを紹介したいと思う。

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