伝説のヒップホップデュオ「OutKast」を読み解く〜第1章Andre 3000生い立ち編
ヒップホップにおけるサウス
トラップなどの流れもあり、ここ15年ぐらいはサウスがヒップホップ的に最も熱い地域と言っても過言ではない。ヒップホップ界では今でもサウスのトラックは賛否両論ではあるが、アトランタやニューオーリンズは常に新しい音楽に向かって前進している地域だと言える。そんなサウスのアーティストたちがメインストリームにて大成功を収める前に、その道を作ったヒップホップデュオが「OutKast(アウトキャスト)」であろう。彼らは東と西がヒップホップ界を治めていた90年代に、アトランタ出身の初のメインストリームアーティストとして大活躍をしたのだ。
OutKastの特徴と言ったら従来のヒップホップアーティストとは違い、新しいスタイルに次々と挑戦していく「クリエイティビティ」であろう。言葉の芸術としてのヒップホップをマスターつつも、彼らは全く型にはまっておらず、他のアーティストが挑戦したら叩かれるであろうこともやってのけてしまうのだ。そんなOutKastのクリエイティビティを紐解くため、数回に渡ってOutkastについてのドキュメンタリーを解説/考察していきたい。
〜Andre 3000生い立ち編〜
OutKastのうちの一人であり、クリエイティブサイドを担っている天才/鬼才がAndre 3000だろう。彼はさまざまなラッパーに影響を与えており、常にトップリリシストとして君臨してきた。上記のドキュメンタリーでは彼の生い立ちが説明されているので紹介したい。
Andre 3000(アンドレ・ベンジャミン)は1975年にアトランタにて生まれた。彼は一人っ子であり、赤ちゃんの頃から少し変わっていたと母親は語る。彼は子供のおもちゃには興味なく、赤ちゃんの頃から「新聞紙をクシャッとしたときの音」を楽しんでいたらしい。彼の両親はもともと結婚をしておらず、両親が別れた際にはアンドレは母親の元で暮らしていた。当時のことを母親はこう語っている。
➖ 当時はアンドレをつれて引っ越したけど、全財産が$450しかなかったから何も買えなかった。唯一買えたのが一つのマットレスで、そのマットレスの上で食事をしたり、寝たりしたわ。
さらには家賃が払えず、何回もアパートを追い出されたと語っている。しかしアンドレはアパートから引っ越す度に毎回準備ができていたという。その結果アトランタの貧民街に移り住むことになったのである。周りの子供たちがドラッグディーラーやギャングメンバーになるのを目の当たりにした母は、アンドレを学区外の小学校にバス通学をさせることを決心したのだ。
小学校〜中学校
当時のアトランタの公立小学校には「Minority to Majority Program」という「様々な人種を集め、多様化を進める」プログラムがあったため、彼は白人層が多い地域の小学校に転入することができたのである。
そこでは母も含め、高級住宅街、ランボルギーニ、高級のスーツなど、今まで見たことがない光景を見ることができたとのこと。小学生のアンドレにとってはカルチャーショックであったはずであり、かなりこの頃の経験が後に活かされていると感じる。彼は13歳のときに一つの趣味を見つけた。
それがファッションである。
白人が多い学校に通うことにより彼はプレッピーなルックス、セーター、カラフルなズボンなど、あまりフッドでは見ることのできない格好を好むようになったのだ。高級ブランドを買うお金がないので、自分で真っ白のシャツを染めたり、自分のロゴをシャツに刺繍したりしていたらしい。この頃から彼のクリエイティビティが垣間見える。
学校からフッドに戻る度にフッドの子供たちから「こいつ何着てんだよ…」と思われていたらしい。さらに彼は白人が多い学校に通うことにより、今まで聞くことがなかったロックやシンセポップも聞くようになったのである。彼の音楽の多様性がこの経験から来ているのがわかる。マドンナ、スティング、デュランデュランなどを好んで聞いていたらしい。
➖ 彼はこのような経験から「世界が広い」ということを学んだと思うわ。彼の視野や考えも広がったと感じた。
アンドレの母はこう語る。さらにはレコードプレイヤーの配線をいじったり、楽器に興味を持ったり、この頃から未来のミュージシャンとしてのポテンシャルを見せていたらしい。しかし彼は成長をするにつれ、いわゆる反抗期的な時期を迎えたのだ。
高校時代〜Big Boiとの出会い
彼は今までのクリエイティブ優等生であることの反動か、Thugっぽいことをするようになったのだ。「ルールは破ってもOK」というスローガンを掲げるようになり、ワイルドになったと言われている。新しい服が欲しいがためにコインランドリーから盗難するなど、母親では対処できないことが増えたため、アンドレの母は今まで考えもしなかった決心をする。それはアンドレを父親の元に引き渡すという決心だ。アンドレも母親にガミガミ言われることを嫌っていたため、父親の元で暮らすことを選んだ。
「父親としての役割を果たしてこなかった彼がアンドレを育てることができるのかが不安だけど、アンドレが自分の父親について知る時がついにきた。」と母親は語っている。しかし彼は父親の元でも、夜遊びをするようになったのだ。夜遊びやストリートを覚えると同時に彼の音楽への想いはエスカレートしていった。その頃にアンドレは「ラッパーになる」という決心をしたと語られている。
➖ アンドレは毎晩夜遅くまでリリックを書き続けていた。もし書くノートや紙が足りなくなったら、壁やトイレットペーパーにリリックを書き留めるレベルで没頭していた
アンドレを引き取った父親とアンドレの友達はこう語る。彼のコミット力とアートへの想いが伝わってくる。彼は進学先としてアートや音楽を学ぶ高校に入学したのである。そこで彼は自分のパートナーとなる存在「Big Boi」に出会うのだ。
第2章 〜Big Boi生い立ち編〜は後日更新されます。見逃さないようにTwitterやFacebookをチェック!
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