2Pacの「All Eyez On Me」彼の最高傑作についての制作秘話を8個紹介

 

2Pac – All Eyez On Me

現在同タイトルの2Pac伝記映画が制作されており、さらにはロックの殿堂入りが決定したことでヒップホップ業界外でも再度注目が高まっている。そんな2Pacの最高傑作とも言える「All Eyez On Me」は1996年2月13日にリリースされた。

2Pacの最高傑作と言えば「Me Against the World」か「All Eyez On Me」で意見がわかれるだろう。この2作品の違いはまさに彼の心境の変化だと感じる。彼は元々若い世代をポジティブに引っ張っていく「ブラックリーダー」としてのリリックが多かったが、5発も撃たれたり、無実を主張した性的暴行事件で4年の有罪判決が出たり、自分の事をはめた「敵」に対して「怒り」を今作では表すようになった。その辺も含め、有名所からニッチな話まで、豆知識を紹介していきたい。

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1.5億円ほどの保釈金


彼は無実を主張したが、性的暴行事件が原因で4年の有罪判決が出ていた。8ヶ月ほど収監されていた彼にオファーをかけたのが、デス・ロウ・レコードのシュグ・ナイトとインタースコープ・レコード代表のジミー・アイオヴィンであった。この2人が保釈金を支払う対価として、デス・ロウから3枚アルバムをリリースするという契約で2Pacは保釈されたのである。2Pacは当時、保釈金が払えずに困っていたとのこと。

さらに驚くことに2Pacがサインした契約書はトイレットペーパーであったのだ。シュグ・ナイトが彼を訪問したとき、持っていいた紙類がトイレットペーパーのみで、その場で契約をしたとのこと。Source

 

アルバムタイトルの候補は他に3つあった


「All Eyez On Me」という名前になる前に、2Pacは3つのタイトル候補を考えていたらしい。最初の候補は釈放される前に浮かんだ案であり「When I Get Free(俺が自由の身になったら)」というタイトルであった。釈放され「Supreme Euthanasia」と「Euthanasia」というタイトル候補であり、「安楽死」という意味である。

 

保釈された日にレコーディングを開始した


これは有名な話しであるが、2Pacの仕事に対する熱量は凄まじいものであった。彼は保釈された日にすぐにスタジオに向い、Daz Dillingerと合流したのである。そのときに最初にレコーディングした曲が「All Eyez On Me」のオープニングトラックとなる「Ambitionz  Az a Ridah」と「I Ain’t Mad At Cha」である。

そんなAmbitionz Az a Ridahのサンプル元ネタはこちらの「Peewees Dance」

 

All Eyez On Meに込められた意味


「All Eyez On Me」に込められた意味はHipHopDXにてこう書かれている。

「All Eyez On Me(全ての視線が俺に)」というタイトルをつけたのは、まさに自分の状態を表しているからだ。警察やFBIも俺を常に監視している。そして俺に嘘の罪を被せようとしている女性たちも俺を見ている。逆に俺のことが好きな女性たちも俺のことを見ている。俺のことを羨ましがっているやつも、仲間も、世の中が俺の次の動きを気になっているんだ。だから「All Eyez On Me」。

 

California LoveはDr. Dreの切り札になるはずだった


「All Eyez On Me」の1stシングルとなった、カリフォルニアアンセム「California Love」がDr. Dreプロデュースなのは周知の事実であるが、実は2Pacのためにプロデュースした曲ではなかった。2Pacの出所後、早急にアルバムを完成させるため当時のデス・ロウにあったビートを集結して2Pacに提供したのだ。そのうちの一つがCalifornia Loveであった。Dr. Dreはこの曲をデス・ロウを辞め、独立した後の切り札にするつもりだったらしく、元々はDr. Dreが3ヴァースをラップしていたとのこと。

Dr. Dreの家にあるスタジオで、はじめてこの曲を聞いた2PacはDreに「俺をのせてくれ」と頼み、さらにその場の15分で自身のヴァースを書き終えたのである。「All Eyez On Me」にはリミックスバージョンが収録されており、元々はDr. Dreが構想していたアルバム「The Chronic: 2000」にオリジナルが収録される予定であった。下記がリミックスバージョンであり、MVにはトークボックスと作曲で参加しているファンクレジェンド「Zapp & Roger」のRoger Troutmanも登場する。トークボックスについての記事はこちら

 

 

このアルバムは2週間でレコーディングされた


なんと27曲も収録されているダブルディスクであるが、2週間でレコーディングを終わらせたのである。全曲ほぼ一発録りで完了し、フィーチャリングされているアーティストもスヌープ・ドッグ以外は一発録りを強要されていたらしい。スヌープ・ドッグは唯一家に帰ってリリックを書くことが許されていた。ここまでスピードに拘っていた理由としては2Pacはなるべく早くデス・ロウから脱退したがっていたとNate Doggは語っている。

さらにメインストリームにおける初のダブルディスクであったとのこと。ダブルディスクにした理由は、アルバム3枚をデス・ロウからリリースするという契約のうちの2枚を一度に消化したかったからである。

 

Can’t C MeはDr. DreとIce Cubeの共作になるはずだった


アルバムのなかで最もハードな曲はこれだろう。この曲もDr. Dreがプロデュースしており、ファンクレジェンドP-Funkジョージ・クリントンがフィーチャリングされている。このハードなビートは元々Dr. DreとIce Cubeの共作「Helter Skelter」に使用されるはずであったが、そもそもこのプロジェクトはリリースされなかった。

 

Faith Evansが元々フィーチャリングされていた


Notorious B.I.G.の奥さんとしても知られているFaith Evansが元々楽曲「Wonda Why They Call U Bitch」にフィーチャリングされていたが、ビギーもFaith Evansもバッドボーイ所属であり、敵対関係にあったので、彼女の歌は入れ替えられた。

この曲には「Bitch」という言葉に特別な意味が込められているので、こちらでチェックして欲しい

 

いかがだろうか。このアルバムはまさに「マスターピース」であり、2週間でレコーディングをしたことからも2Pacのラップへのパッションが伝わってくる。彼の仕事にコミットする気持ちはさまざまなインタビューで語られているが、GOAT(グレーテスト・オブ・オールタイム)と言われるだけある。このアルバムは今までダイアモンド認定(1000万枚以上!)されており、ヒップホップ史上7番目に売れたアルバムである。2Pacが亡くなって20年が経つが、彼のラップは何年経っても色あせない。

ライター紹介:渡邉航光(Kaz Skellington):カリフォルニア州OC育ちのラッパー兼Playatunerの代表。umber session tribeのMCとしても活動をしている。

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