カリフォルニア育ちのラッパーが紹介する西海岸ヒップホップ① Tha Dogg Pound
Writer: 渡邉航光(Kaz Skellington)
カリフォルニア育ちのラッパーが紹介する西海岸ヒップホップ
カリフォルニア育ちのラッパー、渡邉航光ことKaz Skellingtonが聞いて育った西海岸ヒップホップを紹介しようと思います。まずは第一弾は
Tha Dogg Pound(ザ・ドッグ・パウンド)
Tha Dogg Pound(ザ・ドッグ・パウンド)はカリフォルニア州LAのヒップホップデュオ。Tha Dogg Poundという表記だとDaz Dillinger(ダズ・ディリンジャー)とKurupt(クラプト)の二人組を表わしており、DPGC(Dogg Pound Gangsta Crips:ドッグパウンドギャングスタクリップス)という表記では、スヌープ・ドッグやネイトドッグを含んだロングビーチ周辺の出身のヒップホップスーパーグループを表わす。
メンバーのほぼ全員がLAを拠点に置く二大ギャングのうちの一つ、「Crip」出身であるため、90年代の写真では青い服を着ていることが多く見られる。メンバーのダズ・ディリンジャーはスヌープ・ドッグの従兄弟であり、幼少期から仲が良い。
Tha Dogg Poundが最初に注目を浴びるようになったのはメンバーのクラプトとダズがスヌープの紹介でDr. Dreのソロデビューアルバム「The Chronic」にフィーチャーされたことであろう。そこからスヌープのデビューアルバム「DoggyStyle」にもフィーチャーされ、当時最強のヒップホップレーベルと謳われたデスロウレコーズとの契約にいたった。
1st Album “Dogg Food”
デスロウレコーズにてDr. Dreとスヌープが大成功を収めた次のグループとして期待されている中で1995年にデビューアルバム「Dogg Food」をリリースし、最終的にアメリカで300万枚売れる大ヒットとなった。西海岸ヒップホップ史を見てもドレーの「The Chronic」とスヌープの「Doggystyle」に次ぐ傑作だと個人的には感じている。特に最強のプロデューサーとも言えるドレーから学んだこともあり、ダズ・ディリンジャーのプロダクションスキルが光っている。
当時クラプトは西海岸の凄腕リリシストとして全国的に名を売った。後世への影響も大きくエミネムが自分がリスペクトをするラッパートップ10として語っていたり、ケンドリック・ラマーのトップ3に入っているほどでもある。当時は全国ツアーをする中でラップバトルでクラプトに勝てればデスロウと契約できると噂も立っていたらしい。
ダズ・ディリンジャーはデスロウ時代は2Pacの「All Eyez On Me」のプロデュースをしており、ドレーとスヌープの印象が強いデスロウにて大切な役割を担った。
デスロウから離脱
実際に90年代のヒップホップシーンが語られる時にTha Dogg Poundはされるべき評価をされていないと感じている。デビューアルバムのセールズはドレーとスヌープに比べたら劣るものの、大ヒットと言っても過言ではなく、実質ウェストコーストヒップホップにおいて最も重要なグループと言って良いであろう。しかし不運なことにあまり話題に上ることがない彼らであるが、その理由としては「デスロウとのいざこざ」であろう。
二人とも90年代後半にはデスロウから離脱したが、デスロウが「Tha Dogg Pound」という名前と今までの曲のマスターの権利を主張し、名前の変更を余儀なくされたのだ。2001年にD.P.G.名義でDillinger & Young Gottiをリリースしたが、同年にデスロウの代表のシュグナイトはデスロウに残っていたTha Dogg Poundの曲を集めたアルバム「2002」を勝手にリリースした。
上記がダズ・ディリンジャーとクラプトがデスロウを離脱した後にリリースした曲。下記がシュグナイトが勝手にリリースしたバージョン。同曲であるがアレンジが少し変わっている。実際にダズ・ディリンジャーは、シュグナイトが刑務所に収監されている間にデスロウのスタジオに乗り込み、数曲のマスターを盗んだとのこと。
その後クラプトが何故かデスロウに戻り、ダズとの確執があったため長い間アルバムをリリースできない期間がまた続いた。現在は復活しており、近年は勢力的に曲リリースしている。ダズのプロダクションは今だ健在でWestの代名詞とも言えるサウンドとなっている。
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